2020.6.8
おはようございます。
今日は珍しく母のことについて書いてみようと思います。
今日のお題は
母は徳島の阿波山川というド田舎出身です。
私が子供の頃、山の上にある家に到着するまでかかった時間は大阪を出て、少なくとも5,6時間はかかったと思います。
阿波山川という駅に到着するまでに、フェリー、徳島ローカル電車に乗り継ぐ必要がありました。
何度か過去にも日記で書いたことがあるのですが、阿波山川の駅からタクシーに乗り換え、家のある山のふもとまでタクシーで登っていくのですが、
「ここで降りるの!」
という真っ暗な山の中でタクシーを下ろされるのです。
「すいません。ここまでがめいいっぱいです。」
そうすると、真っ暗な山の上の方から、「ドドドドドっ」と野菜を運ぶ小型のトラクターに乗ったおじいちゃんが現われます。
母「おとうちゃん、ありがとう。」
おじいちゃん「よう帰ったのう。」
このやり取りを、子供ながらに「いいなぁ。おじいちゃん、かっこいいなぁ」と思ったものです。
ちなみにこのおじいちゃんは、戦争から生きて帰ってきたので、国から勲章をもらっています。
母は病院で看護婦として働いていたそうです。
島根出身の父と出会い、父は大阪法務局専属の公務員ドライバーで、毎日配車の仕事しておりました。
そうした中でも、姉と私と弟の3人の子供に恵まれ、仕事一本の父に対して、家事一本の母となり、出羽家を守ってきました。
姉は短大卒業、私は大学院卒業、弟は大学卒業と3人とも大学を出し、やりくりも大変だったのに、今は兵庫県の田舎で古民家を破格で手に入れ、毎日父とあーでもない、こーでもないと畑仕事や裁縫をしています。
私も子供の頃から、両親へあまり相談をしないタイプの人間で自分で解決しようとするのですが、どうにもここうにもならない時は、
「どうした?なんかあったんやろ。」
と顔色だけで見抜かれ、
「あはは。そんなことか。これでええやんか。」
と、何日も悩んでいたことを一瞬にして笑い飛ばしてしまう魔法を使います。
よくこの魔法に助けられました。
やはり、毎日ご飯を一緒に食べ、毎日のルーティンの中、子供がいつもと違うと感覚でわかるのだと思います。これは、今、私も3人の子供を持ち、元気のあるとき、ないときはわかるようになったと思います。
田舎に帰ると、玉ねぎやグリーンレタス、キュウリなど頑張って作った野菜を無償の愛でプレゼントしてくれます。
「食べるやろ?子供達に食べさせてあげなさい。無農薬で甘いんやで。」
私も甘えてばかりいられないので、父と母が無駄に買い物しないで済むよう、野菜をもらったときには、消耗品(ティッシュペーパーやトイレットペーパー等)を大量に送るようにしています。
昨日は、母がピアノを始めたので、弾きたいという楽譜をコンビニで印刷してプレゼントしました。
「家族」とひとことで言うと、その深さは簡単に測れませんが、それぞれの家族でそれぞれのストーリーがあり、切っては切れない、愛情のチェーンで繋がっているのだと思っています。
今日はこの辺で終わりとなります。最後までありがとうございます。
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